LOGIN「さて、値踏みの時間だ、白峰結月。君の価値ある話を聞かせてもらおう」
失礼な物言いとわかっていながら、彼はそう言った。帝は手にしたグラスをバルコニーの欄干に置くと、私の逃げ道を塞ぐように一歩、足を進めてきた。
大柄な彼の影が私をすっぽりと覆い隠す。 普通の令嬢なら気絶しかねない捕食者のプレッシャー。 でも私は微動だにせず、その漆黒の双眸を見つめ返した。「出し惜しみはいたしませんわ。諸星代表、あなたが今、裏で極秘に進めている『半導体材料事業への一斉投資』3年後、供給断絶が起こるとあなたは考えていらっしゃる。だから、材料を握る者が世界の供給網を制する――という私の予測、どこまで当たっています?」
帝の目
300万円の広告費を追加で突っ込んでから、また数字が跳ねた。 広告の露出が増え、ショート動画が回り、俺の顔が、あちこちのおすすめ欄に出るようになった。 そして登録者4万人。 4万3000。 4万7000。「来てる……」 俺はスマホを握りしめた。「完全に来てるぞ……!」 成美からも、毎日のように連絡が来る。『陽太君、今日のショート15万再生』『切り抜きも伸びてる』『案件候補も3社来てるよ』「案件!?」『うん。まだ小さいけど』「いくら?」『1本20万くらい』「20万!?」 喋るだけで?『陽太君の場合、キャラが強いから企業も興味持ってる』「キャラじゃねえ。人間性な」『はいはい(笑)』「はい1回!」『なに?』「今の雑!」『ごめん♡』「……まあいい」 こんな調子で数日後。 第8回配信。 視聴者は、ついに6000人を超えていた。「今日は重大発表があります!」『何?』『結婚?』『成美さんと?』『借金返した?』「どれも違ぁーう!」 俺は画面の前で胸を張る。「企業案件が決まりました!」 ピースでどや顔のアップが映る。『おお』『マジで売れてきた』『一条伝説すげえ』『成美さん仕事できすぎ』「また成美かよ!」 スタッフが横から笑っている。 成美も、少し離れたところで、スマホ片手に笑っていた。「俺の魅力あってこその案件だからな!」『はいはい』『
150万円を払ってからさらに2週間。俺の配信環境は、完全に変わった。「おお……」 新しい撮影スタジオ。 正面には大きなモニター。 背景には『YOHTA』のネオン。 高級そうなソファ。 本棚に観葉植物。 意味はよく分からないが、やたら金持ちっぽいオブジェ。「どう?」 成美が得意げに聞いてきた。「……めっちゃ俺っぽい」「でしょ?」「成功者感すごくね?」「すごいすごい」 俺はソファに深く座った。「これなら結月も見るだろ」「……まだ結月ちゃんのこと言ってるの?」「当たり前だろ」「ふーん」 成美が、少しだけ面白くなさそうな顔をした。 お?「なに?」「別に」「嫉妬?」「してないけど?」「フッ」 してるなこれは。 完全にしてる。 俺、モテ期入ってんな。 そんなモテ男ヨーチューバ―、新スタジオからの初配信。「どうも!」 俺は両手を広げた。「進化した一条陽太です!」『背景豪華になってる』『金かけたな』『成美さん有能』『ネオン草』「ネオン草ってなんだよ!」 視聴者。 開始10分で2000人。 30分で4500人。「今日すげえぞ!」『伸びてる』『伝説始まった』『本当に有名になってきてる』 気持ちいい。めちゃくちゃ気持ちいい!!「みんな」『なに?』
100万円を追加で入れてから、成美の動きは、さらに速くなった。 翌朝。『陽太君、今日からショート3本ずつ出すよ』「3本?」『うん。昼、夕方、夜』「そんなに?」『アルゴリズムに覚えさせるの』「アルゴ……?」『陽太君は覚えなくていいよ』「そう?」『喋ってればいいの♡』「なるほど」 役割分担ってやつだな。 俺は表。成美は裏。 やっぱり完璧。 その日の昼。1本目。『借金30億でも「俺は勝ち組」と言い切る男』「また借金ネタかよ!」 でも、再生数7万。 夕方。『元御曹司、一条陽太。「アンチは成功者の証」と断言』「お、これはカッコいい」 再生数12万。 夜。『宝くじ3千万円を「実力」と言い張る男』「言い張るじゃねえ! 本当に実力だ!」 再生数23万。 俺はスマホを持ったまま固まった。「23万?」『伸びてるね』 成美から即メッセージ。「伸びてるどころじゃねえだろ!」『登録者見てみて』 開く。「……3400?」 昨日まで1000人いなかった。 なのに。「1日で?」『うん』「すげえ……」『だから言ったでしょ?』 俺、やっぱり売れる才能ある!!「成美」『なに?』「俺たち、最強じゃね?」『今さら?』
俺はワイングラスを置き、腕を組んだ。「先に言っとくけどな」「なに?」「俺、もう4年前の俺じゃないから」「うん」「金なら何でも出すとか、そういうのはなしだぞ」「もちろん」「『ブランド物買って♡』とかもナシだからな」「わかってる。だから私も今は仕事の話してるよ? バッグ買ってなんて言ってないよね?」 成美がまともだ。逆に怖い。「で、いくら必要なんだ?」「そうね……」 成美がスマホを操作した。「まず最初は30万円くらいかな」「30万?」 思ったより安い。「何に使う?」「編集費。切り抜き制作。ショート動画の制作。それと広告テスト」「広告テスト?」「いきなり大金を使うんじゃなくて、まず少額でどの層が反応するか見るの」 なるほど。「あと、私のコンサル費」「いくら?」「最初の1か月は10万円でいいよ」「合計40万?」「うん」 3千万円のうち。 40万円。「安くね?」「安くしてるの」「なんで?」「陽太君だから。昔のこともあるし、最初はそれでいい」 なんでもないように言ってのけた。「成美……」「でも、ちゃんと結果は出すよ」 俺は少し考えた。 40万円。高いといえば高い。 だが、登録者10万人に月収1000万円。 その未来を買うと思えば――「安いな」「でしょ?」「よし」 俺は即決した。「払う」「本当に?」「ああ」
「陽太君、昔からそうだった」「…………フッ」 やめろ。その攻撃はなかなか危険だ。「謝罪はもういいよ。それより配信の話、聞かせてくれ」「あ、うん」 成美の目が少し変わった。「今日の配信、本当に面白かったよ」「だろ?」「うん」「俺も初回にしては悪くないと思ってる」「悪くないどころじゃないよ」「え?」「初配信で200人以上でしょ?」「284」「すごいよ」 そう?「普通、最初なんて誰も見てくれないから」「やっぱり?」「登録者も?」「192」「ほら」 成美が身を乗り出した。「絶対才能あるよ」 来た。才能。 俺の好きな言葉。「ただ」「ただ?」「もったいない」 俺の眉が動いた。「何が?」「今の配信」 成美はスマホを取り出した。「陽太くん本人は面白いのに、見せ方が素人っぽい」 なんだよ素人っぽいって。 ちょっとムカつく。「照明も、カメラも、背景も」「全部100万かけたぞ?」「機材の値段じゃないの」「え?」「使い方」 成美が笑う。「あとタイトル」「YOHTA CHANNEL?」「それもだけど、動画タイトルも悪いし、切り抜きも作ってない」 タイトルそんなに悪かったかな。「ショート動画もないし」「うん。始めたばっかりだから」「SNSも連動してない」
翌日。俺は、今住んでいるホテルの鏡の前に立っていた。 イタリア製スーツ。 新品の革靴。 高級時計。 髪もバッチリ。 香水も、つけすぎない程度に2プッシュ。「完璧」 どう見ても成功者。 どう見ても金持ち。 どう見ても、4年前に全裸で捨てられた男には見えない。「今日の目的を確認するぞ」 俺は鏡の中の自分へ指を立てた。「1つ。4年前のことをちゃんと謝らせる」 2本目。「2つ。配信のノウハウを聞き出す」 3本目。「3つ。絶対に金は出さない」 ここ大事。めちゃくちゃ大事。「俺はもう4年前の俺じゃない」 成美の色仕掛け? 効きません。 泣き落とし? 効きません。 褒め殺し? そんなもん。「俺には通用しねえ」 フッ。 刑務所生活4年。伊達じゃねえぞ。 心はもう岩のように固く動かない! そして午後7時。銀座。 指定された店の前へ到着した。「ここか……」 懐かしい場所だった。 4年前、俺が金を持っていた頃。成美と遊んだな。生でヤったし。あれはよかった。 高級店の明かりに、ブランドショップ。高そうな車。「やっぱ俺にはザギンが似合うな」 公園のベンチより、断然こっち。「陽太くん?」「ん?」 後ろから声をかけられた。振り返る。 4年前より美しくなった志田成美が立っていた。「久しぶり」
「な、んでだよ……っ!!」 俺は、武藤会長を連れて女王様みたいに華やかに去っていく白峰結月の後ろ姿を、ただ口を開けて見つめることしかできなかった。 驚きとパニックに、名刺入れを握る指先がみっともなくガタガタと震える。 周囲の連中が「何だあいつ?」と俺をクスクス笑っている気配がして、顔がカッと熱くなった。 おかしい。こんなの絶対におかしい!
その困ったような笑顔。前世で私の心をいとも簡単に溶かしたあの顔。 不思議だった。あれほど焦がれた表情を前にしているのに、私の心は凍った湖のように静かだった。 手を伸ばして彼に武藤を紹介し、二言三言の助言を与えれば、彼はすぐに息を吹き返す。そしてまた、あの幸福で——その実、破滅へと続く十年が始まるのだ。 私はゆっくりと微笑んだ。 前世の私なら、ここで罪悪感に押し潰されていただろう。困っている人を見捨てる冷たい女だと、自分を責めたはずだ。けれど私を無情に切り捨てた男のために、これ以上、自分の優しさを安売りするのは——終わりにする。「ごめんなさい。人違いだと思いますわ」「えっ……
シャンデリアの光の下で、若き日の一条陽太は、滑稽なほど浮いていた。 仕立ての悪いスーツ。借り物のような笑顔。名刺入れを握りしめる指先は、誰の目にも分かるほど強張っている。この華やかな会場にいる誰もが、彼を「場違いな田舎者」として、視界の端で処理していた。 二十二歳の陽太。まだ、何者でもない。これから十年をかけて私を喰い尽くす牙も、初恋の女に狂って身を滅ぼす弱さも、その内側にすべて眠らせたまま、彼はただ、必死だった。 前世の私は、その姿に、どうしようもなく惹かれたのだ。磨けば光る原石だと、本気で信じた。そして、光らせてやれるのは自分だけだと——思い上がっていた。 今なら分かる。私が惹
※「——結月さん? 白峰結月さん、聞いていらっしゃいます?」 名前を呼ばれて私は目を開けた。 まず飛び込んできたのは、まばゆいシャンデリアの光だった。磨き上げられた大理石の床。氷とグラスの触れ合う澄んだ音。着飾った人々が交わす華やかなざわめき。香水と、生花と、上等なワインの匂い。 冷たい安アパートの天井ではなかった。胸を焼く痛みもない。 視界を落とすと、手が映った。それは——細く、白く、傷ひとつない若い指が、シャンパングラスを握っていた。 鏡張りの壁に映った自分の姿に私は息を呑んだ。そこに立っていたのは、二十二歳の私だった。 すべてを奪われ、たった一人で死んでいったはず